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北アルプス 縦走 ブログ

北アルプス編③(10/4~10/6)

  • 10/4 雲ノ平山荘~水晶岳~野口五郎岳~烏帽子小屋

  • 10/5 烏帽子小屋~烏帽子岳~不動岳~船窪岳~船窪小屋

  • 10/6 船窪小屋にて停滞。「豊か」とはなんぞやと。

 10月4日 雲ノ平山荘~水晶岳~野口五郎岳~烏帽子小屋

 

目に映る全てが美しく、夢見心地で歩き続けた一日。その一日は感動的な朝日から始まりました。

 

前日までの暴風雨が嘘のように晴れ渡った静かな朝、朝日を拝むべく山荘から祖母岳へ。凍ってツルツル滑る木道(何度転んだことか…)を歩くこと約30分、祖母岳に到着。水晶岳から黒部五郎までを一望できるこの場所で太陽を待ちます。

 

待つこと数分、水晶岳方面から太陽が。雨に洗われた清浄な大気には、光を遮るものもないのだろう。山の向こうから突き抜けてくるその光は、刺すようにまぶしい。このとき以上に太陽をまぶしいと感じたことはありません。思わず後ずさりしてしまいそうなほどの力強さがその光にはありました。

そしてこの直後、あたりは北から流れ込んできた雲にすっぽりと覆われ、それはそれは幻想的な雰囲気に…。

光と雲の織りなす光景に、息をのむほど感動した朝となりました。

小屋に戻り荷物をまとめて烏帽子小屋へと出発。祖父岳を経由して水晶岳に向かいます。とにかく美しい雲ノ平の風景。名残惜しく思いながらも雲ノ平を後にします。

 

その名の通り、水晶が輝く道を登って水晶岳へ。頂上からは北アルプスを一望。西に見える薬師岳が圧巻の迫力。東には野口五郎岳とその真っ白な稜線。なんとも旅心をそそられる稜線です。

野口五郎岳から烏帽子岳へと続く尾根はまさに空中散歩といった趣。大きな花崗岩が転がる白い尾根を忠実になぞっていきます。そして谷を挟んで西に見える立山と薬師岳の姿がかっこいい。ああ、かっこいい。

 

どの山もみな美しいのですが、それでも立山の立ち姿の美しさは格別でした。稜線を北上する私の視界の左前方にちらちらと入り込んでくる立山さん。気が散ってしょうがない。

 

立山に心奪われながら歩いているとあっという間に烏帽子小屋到着。圧倒的美しさの朝日で幕を開け、立山に見とれた一日。感動の光景に、”心ここにあらず”な一日でした。

 

 10月5日 烏帽子小屋~烏帽子岳~不動岳~船窪岳~船窪小屋

 

台風が近付き昼には雨になると小屋の方から情報が入ったので、迷うことなく小屋泊を決意。先日、テント底の穴から大量に浸水し散々な目に遭ったので...。この日は船窪小屋を目指します。

 

日の出前から行動開始。台風が近いからだろう、明らかに前日までとは違う重く湿った生ぬるい空気が流れ、空にはどんよりとした暗い雲が低く垂れこめていました。風がざわめき、妙に気温が高い。

烏帽子岳で岩登りを楽しみ、池の点在する庭園のような場所を抜けて南沢岳へ。晴れていたら池がきれいだろうに…。朝8時ごろ、不動岳を越えたあたりでぽつぽつと雨が降り出し、数分後には本降りに。

 

不動岳~船窪小屋間は尾根も細く、大きくアップダウンを繰り返すくたびれる道のりでしたが、紅葉したダケカンバの樹林帯、切り立った崖、そしてときどき顔を覗かせてくれる立山や針ノ木岳と、変化に富んだルートで、冷たい雨に打たれながらも楽しく歩くことができました。

 

12時に船窪小屋に到着。ガラガラと引き戸を開けると、ちょうど小屋の方々が囲炉裏を囲んで食事をしているところでした。箸を置き、口元を手でおさえながら「お疲れ様でした」と言って玄関まで歩いてきてくれた自然で家庭的な仕草に、「素敵な小屋に違いない」と確信しました。そして実際、本当に素敵な小屋でした。

晩御飯は山菜の天ぷらなどたくさんの美味しい料理。さらにデザートにはクロマメノキのゼリーが。そしてクロマメノキの写真を見せてもらってびっくり。これはそこら中に生えてる実じゃないか!あいつら食べられるのか...!

これまでその足元の恵みに全く気付かず歩いていたのかと思ってちょっと反省。これ以来、クロマメノキを見つけてはその実を食べながら歩いていきました。

それまでは森林限界あたりなんて、何もない不毛の地くらいに思っていましたが、こうして美味しい実がなっていたり、山菜やキノコがあったり、とても豊かなのだと気付かされました。それに気付ける見る目さえあれば、ですが。

知らないが故に身の周りの恵みや豊かさに気付いていないということが、日々の生活の中でもありそうだ。

 

食後は船窪小屋名物という「お茶会」で交流を深めます。各人の自己紹介から始まり、小屋のお父さんお母さんから小屋の歴史や黒部の山賊の話など、他では聞くことのできない山にまつわる貴重な話を聞いて過ごします。特にお父さんの熊猟の話は印象的で、とつとつと語るその優しい言葉には、山と対話し山の中で暮らしてきたお父さんの、山への畏敬の念と愛情がにじみ出ているようでした。

囲炉裏を囲みぱちぱちと炭の爆ぜる音を聞きながらそんな言葉に耳を傾けていると、自然と暮らしてきた方独特の厚みや深みのようなものが感じられ、以前から漠然と持っていた「自然と調和した生活」をしたいという思いが強くなるのでした。

 

そんなこんなで夜は更けていきましたが、雨風は強くなる一方。翌日、天気が回復すれば針ノ木小屋まで歩きたいのだが…。

 

 10月6日 船窪小屋にて停滞。「豊か」とはなんぞやと。

 

夜が明けても相変わらずの暴風雨。一向に天気は回復しそうにないのでこの日は停滞。

布団にくるまり、一日中ゴロゴロ。ときどき起きだして囲炉裏の火にあたり、小屋の方々とぽつりぽつりと会話をして過ごしました。そこで聞く話はどれも私にとって新鮮で驚きに満ちたものでした。

 

例えば小屋のお父さんの熊猟のお話。

冬のうちにクマのねぐらを見つけておいて、春先、冬眠から覚めたところを狙うのだということ(この時期が一番美味いそうだ)。銃で仕留めたらその場で解体し、まず高値で売れる毛皮と熊の胆を持って町に売りに行ったのだということ。肉のほうは雪に埋めておいて(天然冷凍庫!)、必要な分だけそのつど掘り出して利用していたということ…。

 

「熊って普段なにを食べているんですか?」と、私が無知丸出しの質問をすると今度はお母さんが、「木の実とかだよね。特にブナの実なんかはよく食べるみたい。熊にとっても美味しいんだね」と答えてくれました。

「熊にとって“も”」というのが気になったのでさらに聞いてみると、「美味しいんだよ。粉にしてお餅にしたり」とのこと。調べてみると、ブナの実は渋みもなくそのままでも食べられるほど美味しいのだそうです。

まったく、知らないことばかりだ!

 

 

これらのお話を通して感じたのは、私が気付いていないだけで、身の周りの世界はすでに十分すぎるほどに「豊か」なのだということです。ただの林にしか見えていなかったブナ林も、実は美味しい実を落としてくれる豊かな林だったのです。知らなかっただけで。

 

私は、現代の私たちは、一体そうやってどれだけの「豊かさ」をふいにしているのだろう。

ブナの実や、熊や鹿や猪の肉を食したり、里山の木を使ったり、伝統的には身の周りの自然の恵みを味わい暮らしていたはず。しかし今ではそんな暮らしもおそらく絶滅寸前。

 

身近な豊かさが見えなくなったのは何故だろうか。

伝統的な知恵や生活様式から離れ、何でもお金で買うのが当たり前になったことで、身の周りの豊かさを読み解くための力を失ったのだろうか。

自然の豊かさを読み解く“辞書”やその声を聞く“耳”。

「豊かさに気付く力」。

何でもお金で買えるなら、そんな能力は必要ないですものね。

 

しかし、豊かさに気付きにくくなってはいても、決して「豊かさ」そのものは失われていないはず。地球は、世界は、昔ほどではないにしろ今でも豊かなはず。きっとそれが見えなくなっているだけ。

だからもう一度、身の周りの自然を楽しみ味わい活かすための“辞書”と“耳”さえ取り戻すことができればいいのだろうと思います。

 

先人たちが築き上げ受け継いできた伝統的な知恵や生活様式という“辞書”と“耳”。

それを通して、足元の豊かな世界に再び「気付く」こと。また、そうして「再発見」された豊かな世界・自然を守りながらも最大限に活用する、自然と人の調和のとれた生活。

それこそが「豊か」で幸せな暮らしなのではないかと思うのでした。

 

「豊かさ」とはきっと「気付く」もの。お金やモノをどれだけ持っているかではない。

すでにある豊かさに気付き満足できることこそ、「豊か」ということではないか。

 

自然や伝統的な知恵について学び、豊かさに気付くための力を身に付けたいものです。

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