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北アルプス 縦走 ブログ

北アルプス編⑥(10/13)

  • 10/13 白鳥小屋~親不知

  • 終わりに

 10月13日 白鳥小屋~親不知

 

最終日。

大型の台風の影響でぬるく湿った空気の中、目覚めたのは朝3時。この日は日本海までHさん御一行とご一緒させていただく予定でしたが、約束の時刻の3時間も前に起きてしまいました。

「これが旅の最後の朝飯か」「これが旅の最後のココアか」「これが旅の最後のうんこか」…と、いちいち感慨に耽りながら出発までの時間をつぶします。

小雨が降る中、4人でスタート。どんより重く暗い空模様でしたが、久しぶりに人と歩くことができる喜びに心は躍っていました。

木々はしっとりと重く枝を垂れていましたが、水を吸った葉は晴れた日よりもむしろ色濃く美しく見えました。そんな木々の間をぬって急坂をぐんぐん下って行きます。栂海新道は美しいが、上り下りがなかなか険しい…。

 

ハイペースな御一行に置いていかれないようなんとか付いていくこと数時間、気が付けば日本海がすぐ目と鼻の先に。波の形や水面の細かなきらめきまではっきりと見ることができます。いよいよ海が近いという実感がわき思わずニヤニヤ。足取りも軽くなります。

 

海岸線を走る国道8号を渡り、親不知の海岸へと続く階段を一歩一歩と下ります。

小雨&灰色の鈍い海。

イメージしていた「雲一つない空のもと、青く澄んだ海にダイブ!!」というゴールとは似て非なるものでしたが、そんなことは関係なし。目の前の日本海に頬は緩みっぱなしです。

時折打ち寄せられる大きな波に、海の力強さを感じます。

靴を脱いで裸足になり、雨粒や波しぶき、足裏の岩の感触を感じながら海へと進み、10時34分、日本海に足を踏み入れ私の旅は終わりました。

太平洋に足を浸けてスタートしてから42日目。

海抜0mから海抜0mへ...太平洋から山を越えて日本海を目指す旅は、こうして無事に終わりを迎えることができました。

 

その後、Hさん御一行と海の幸を堪能し私は東京へと帰りました。

親切にもこの日の行動をご一緒させてくださった御三方に感謝するとともに、ゴールの喜びを共有できたことを心から幸せに思います。ありがとうございました。(親不知に到着するや否や大波にさらわれそうになったSさんの勇姿は決して忘れません)。

 

しかしながら、ゴールはなんともあっけないものでした。

海に足を浸けた瞬間には、指先や髪の毛の先まで、全身が喜びに満たされるような感動がありましたが、それでも、何か特別で大きな達成感のようなものが得られたわけではありませんでした。

 

これまで毎日繰り返してきた、「その日の目的地を決めて、歩いて、テントを張って寝る」というとてもシンプルな生活。

この日のゴールも、その単純な毎日の延長としてありました。

その日の目的地を目指して無心で歩いたそれまでの41日間と何ら変わりはない、いつもと同じ一日。ただ今日たまたま日本海についてしまった、たまたま節目の一日だった、そんな感じ。

だからどうしても特別な感慨や達成感のようなものが感じられませんでした。

 

そして、電車とバスを乗り継いで東京へ帰る道中の憂鬱だったこと...。

達成感などまるでなく、どうにもならない虚無感に襲われていました。

その日のどんよりとした空のせいだったのか、大都会東京に向かっていることへの恐怖だったのか、それまでの山での生活など嘘だったかのようにケロッと下界モードに戻りSUICAをピッとタッチしている自分への違和感だったのか...。

理由のわからない、もやもや。

 

そんな何とも言えない不思議な心持ちでいたのですが、しかしながら、バスの中でカメラの写真を見返しているとだんだんと心が晴れていきました。

 

カメラに残るのは、自分自身で歩いたというのが信じられないほどの美しい風景や出会った人々の表情。

そんな写真を見ていると、その時々の風の感触や匂いまでも思い返せるほど鮮やかに記憶がよみがえり、さらにはその時の感動までもが呼び起されるのでした。

そしてそのよみがえってきた感動とともに身体にも充実感があふれていきました。

 

そうしてやっと、「素晴らしい時間だった」と旅全体を振り返ることができるようになり、明るい気持ちになれたのでした。

 

本当に、いい旅だった。

 

 

 終わりに

 

太平洋から日本海への42日間、いろいろなことがあっていろいろなものを見たはずなのですが、心に残ったのは「人との出会いや縁ほど大切なことはない」「地球は美しい」というごく当たり前のことでした。

 

山で、道端で、実に多くの人と出会いました。

全ての人が親切で刺激的で、なかには連絡先を交換して後に一緒に山に登ったりした方もいます。

しかしながら、「人との出会いや縁が大切だ」と思うのはそういった面白い出会いがあったからだけではありません。旅の間ずっと、子どものころから現在に至るまでの友人や関わってきた人々、家族との思い出を思い返していたからです。

 

一人で歩いている時間に頭をよぎるのはすべて「人との記憶」でした。

小学校のとき○○君が言ったくだらない一言、○○先生の言葉に感動したこと、バイト先の○○さんの前歯が欠けたときの話…。

 

笑える話でも腹わた煮えくり返るような記憶でも、それがどんなものであれ、人と交わした言葉やその記憶が自分の中に深く息づいているのを感じました。

自分は、それまでに出会った人々やその人たちとの思い出によって形作られている。

 

今日の出会いが、明日の自分の血肉になる。

一期一会。すべての縁に感謝しなければと改めて思います。

 

 

縁の大切さとともに心に残ったのは「地球は美しい」ということでした。今さら改めて言うことでもありませんが、歩いている間に目にする全てが、本当に美しかったのです。

 

桃色の朝日、苔むした静かな森、湿原を流れる澄んだ水…。

 

自然の美しさを肌で感じその力強さに圧倒されるような思いもしましたが、それと同時に絶妙なバランスの上で成り立つ自然の繊細さも感じました。

全ての生命が、誰に命令されるでもなくそれぞれの役割を果たして維持される自然。そこには無駄な生命などひとつもなく、すべてがつながり、皆が等しく価値を持つ。その世界は、もしかしたら、何か一つの変化で全体が崩れてしまうほど繊細なものかもしれない…。そうだとするとどの生命も粗末にできない。すべての生命を大切にしなければならない。

 

こうして地球の美しさと繊細さを感じたからこそ、地球を守りたいと強く思うようになりました。...大げさかもしれませんが。

 

この地球を美しいまま次の世代に残していくには、どうしても今の生活スタイルから脱却しなければならないのだろうと思います。“過剰”を前提にした大量生産・大量消費のスタイルでは地球への負荷が大きすぎる。

人は植物のように、何もないところから花を咲かせて実をつけるなんてことは出来ません。人はどこまでも消費者なのだから、自然の恵みを頂くものとして、もっともっと謙虚に暮らさなければならないはずです。

 

「人間には自然の恵みを享受する権利があり、同時に、自然を守る義務がある」という言葉があります。ニュージーランドのマオリ族の考え方だそうです。

我々人間はどこまでも消費者であるという自覚を持ち、謙虚さと節度を持って自然の恵みを享受していくことが、美しい地球を守るために何よりも大切なのだと思います。

 

過度な開発で自然を破壊したり、未来の世代が使えるはずの資源を乱用したり…。今の私たちの”快適な”生活は、現在・未来の自然や人々の犠牲の上に成り立っているように思います。私はできることなら、そんな犠牲や不幸を前提にした生活はしたくありません。

そのためにも、外の資源に頼らず身の周りの自然の恵みを最大限に活かす、持続可能な生活ができるように知識をつけていきたい。そのための勉強をしていきたいと思います。

 

 

お終い。

 

 

...とにもかくにも、「地球は美しい」!!

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